地球(世界)を救う子ども達への祝福
    (イエス降誕の目的に添って
)

 神の霊で包まれて創造された地。それが『エデンの園』です。神はご自分の霊を人間に与え、エデンの園なる地球の「自然とそこに、生き育つ全ての植物。動物」を守り育む大切な使命を人間に与えられた。
 しかし、人間はその昔から今日まで、自己中心で他者を自分に従わせることに力を注ぎ、従わない者たちを迫害し殺略する歴史を繰り返しています。

 神は、ユダヤ人を通して「平和の為の愛の教え」を全世界の人に教え伝えようとされたが、そのユダヤ人も他国の指導者たちと同様でした。
 皆が助け慰め支え合う平和な世界(地球)=「神の国」の実現のために人間が成すべき事を預言者は伝えています。
 戦いに明け暮れる人間に対して、神の働きの預言は、
 『神はもろもろの国の間に裁きを行い、多くの民の為に仲裁に立たれる、こうして彼等はその剣を打ち代えて「スキ」とし、その槍を打ち代えて「鎌」とし、国は国にむかって、剣をあげず、彼らはもやは戦いのことを学ばない。』(イザヤ書2章4節)とあります。
 しかし、ユダヤの指導者たちは、この様に神からの預言を伝える者たちを迫害し、民を守る目的で他国との戦いの道を歩んだ。
 今より2020年程前のユダヤはローマ帝国の支配下にあり、軍団の駐留軍がおり、神の国だと自負する若者がしばしば反乱を起こしては捕縛され、公道の両側に、ローマに反抗する者の見せしめとして『十字架に付けられ』さらされた。
 人間力(剣)による支配は、常に悲劇の「殺略と破壊を招き、憎しみと恨みと復讐へ」と導きます。「他者を愛し、理解し、赦し、慰め、助け、支え合う平和に満ちた世界」即ち、神の国の状況とは程遠い社会でした。戦いの世界の除正に、イエス降誕の目的があります。
 神の「言葉」として来臨され、公の働きを始められた、イエス様の第一声は、マルコ1:15に「時は満ちた、神の国は近付いた。悔い改めて福音を信じなさい」とあります。
 そして、平和で幸せな世界を作り、そこに生きる方策を教え伝え続けられます。

※弟子たちへの最後の実地教訓は、愛と赦しの平和を説き続けられた方が、弟子に剣を準備させ、その剣を使って捕縛者を斬りつけ傷つけた時、『あなたの剣を元の鞘に納めなさい。剣を採る者は皆、剣で滅びる』(マタイ福音書26:32)です。

※剣は力の代表。今の時代は世界中が死の剣で自己主張しています。他者を理解し互いに助け合う真の平和な世界『神の国』は剣ではなく、「愛」によるのです。
 今、薬やミルク、食べ物が不足して多くの乳児が日々死に追いやられています。武器弾薬を作らず、その費用で薬や砂漠を緑化で食糧増産すれば問題解消します。戦争をしない平和な地球『神の国』の建設を未来に生きる子ども達に委ねる子育ての教育をしたいものです。

 この。子ども達の姿を『聖書』に学びましょう。
「神の国の実現に手をかした子ども」、ヨハネによる福音書6章1〜14節
※5千人に食べ物を与ええる、とタイトルを付けた聖書もあります。
 (ここでは、成人男子5千人を意味しています。)
(5千人の成人男子だけが、何の労もせず食物が与えられて満腹した、だけでは神の国の状況ではない)
 当時のユダヤ社会では、人の数を上げる時、女性や、子どもの人数は記帳しない習慣でした。それ故に、これに、女性や子どもの数を加えるなら、3倍近くの人数になることでしょう。また、5つのパンと2匹の魚を提供した、子どもやその母親(家族)も当然その食事を頂いたはずです。子どもが、自分のパンと魚を提供したとき、イエス様の・・・(神の国ならば、当然)「喜びと微笑みと感謝のお顔」で、子どもや母親(保護者)に言葉を掛けておられる姿が浮かんできます。この様子に感じた多くの大人も自分のものを提供したことでしょう。

 紀南幼稚園の子ども達も毎年6月の花の日の行事のとき、12月のクリスマスの行事の折、同じ様な体験をしているのですが。災害が起こった時など、必ず子ども達は体験します。

**平成7年1月17日、阪神淡路大震災による、大災害が発生。
紀南幼稚園では恒例の餅つきを1月21日に行った。そして、昼の給食で黄粉餅や雑煮などを食べている途中、すみれ組の女の子がストップをかけた。「みんな聞いて、今、神戸の人たちは、家が壊れ水や食べる物が無くて困っているんよ、だから、このお餅食べてしまわないで送ってあげたらどうかな?。
 簡単には送れないから献金で助けたら、・・・等など、」発案がいっぱい出た。
教師は感動し、保護者役員委員様方と相談し献金を集めることにし、4日後に送金した。以後クリスマスの感謝献金を5年間送り続けた。その春休みに教師たちは2泊3日で「めぐみ会」の炊き出しに参加した。田辺市内の山間部の方々が大水害を受けられた時も同様ん、園児達と2カ年献金した。誰かが困っている時、自分達の受けている恵みを分かち合うのは、神の国の住民ならば、当然のことだから。
 こんなに大勢では、200日働いた給料分で買ったとしても、各々少ししかないでしょう、と弟子の声、子どもが自分の「5つのパンと2匹の魚(弁当)」をささげた時、こんなに大勢では何の役にも立たないでしょう、と弟子の答え。大人は打算し計算し、駄目だとすぐ答えを出しがちです。
 子どもを抱き上げて、「神の国はこの様に受け入れる者達のもの」、だと主イエスが言われる通り、今、誰かが困っている、イエス様は何かを求めておられると純粋に受け止める子どもの心。だから、すぐに自分の弁当の全てを差し出すのです。★★子育ての中で子ども達に、『優しい心をありがとう』と微笑みをもって見つめこえを掛けて下さるイエス様を感じ、親や祖父母(保護者)達の全ての人に、『ここまで育ててくれてありがとう、今後も宜しく頼むよ!』との主イエスのお心を感じて教え育てる事に全力を注いで頂きたい。