『福音は地の果てまで』 使徒言行録 8章26〜40節
 
 神がサマリアの次に選んだのは一人のエチオピア人の宦官だった。その理由
 @使徒1:8「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
 ここにはサマリアの次は地の果てに至るまで、とある。当時、エチオピア(クシュ)は、ローマ帝国支配下にあり、アフリカのエジプトのさらに南に位置し、当時の世界ではエチオピアは南の地の果てであった。ちなみに西の地の果てはイスパニア(現スペイン)であった。パウロの伝道の最終目的の地でもあった。
 そのエチオピア人でも女王の高官で「宦官」と言われている人を選んだ。
A地の果ての人、エチオピアの宦官は人間として、最も福音に遠い人(果ての果ての人)と考えられていた。 その根拠が申命記(23:02睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない。)である。そこには主の会衆に入ることが出来ない人として、最初に記されているのは去勢された人、宦官であった。主の会衆に加わる者はその身を汚してはならな。主が聖であるから、聖とならねばならない。厳しい律法からすると宦官は主の民からは最も遠い人であった。
 さて、本文からもう少し詳しく見ていきましょう。

(北)サマリア→→→エルサレム→→→ガザ→→・・・→エジプト・エチオピア(南)
      約60q        約90q   約40q

 主の天使の言葉に従って(フィリポの考えではない)、すぐにフィリポは出かけた。告げられたガザへの寂しい道に着くと、そこには一台の馬車が走っていた。エチオピアの女王カンダケの高官で宦官と言われる人がエルサレムで礼拝を終えて、エチオピアへとカザに向かう道を走っていくところであった。霊はフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と。フィリポが走る寄ると、馬車の中からイザヤ書を朗読している声が聞こえた。
疑問:@当時は貴重で、高価な旧約聖書をエチオピア人が何故持っていたのか
    Aこの人はエチオピア人でありながら何故、エルサレムに礼拝に行ったのか。

 彼が『聖書(イザヤ書)』(高価) を持っていたことや、それを朗読(ギリシャ語)できたことは、この人物の地位と知識の大きさを物語るものである。この宦官が持っていた聖書はおそらく、「70人訳」と言われたギリシャ語の聖書である。
 これを自分なりに読むことも大変だ。しかし、それを読んで感銘を受けたのか、はるばるエルサレム神殿に来て、礼拝を捧げたのはないかと想像する。何日もかけ、多大な出費をして、礼拝に来たと言うことは、よほど強く求めるところがあったからであろう。この人の内面は分からないが、「宦官」であったということから、見ていきましょう。

宦官
1.[ギリシャ語辞典より] 国王や君主の寝室係、、寝室の管理。世話をする人、(このような役目の人は去勢されていたので)去勢された男子、宦官
2.[中国]
 刑罰として去勢(宮刑、虐刑)されたり、具民族の捕虜や献上奴隷が去勢された後、皇帝や後宮(大奥)に仕えるようになったのが宦官の始まりである。しかし、後に皇帝やその寵妃(チョウヒ)等に重用され、権勢を誇る者も出てくるようになると、自主的に去勢して宦官を志願する事例も出て来るようになった。現在のような医療技術がある訳でもなく、去勢した後傷口から細菌が入って三割が死ぬことから命がけであったともいわれている。

3.旧約聖書が記している[宦官]
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神は彼らを区別しているのだろうか。申命記23:2睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない。(P316)

Aイザヤ書56: 3・主に連なる外国人は言ってはならない。「主はきっと、私をその民から切り離される。《と。宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ。《と。4まことに主はこう仰せられる。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには 5.わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と吊を与え、絶えることのない永遠の吊を与える。(P1153)

Bエレミヤ書 クシュ人の 宦官 預言者エレミヤを助ける。
38:07宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクは、エレミヤが水溜めに投げ込まれたことを聞いた。そのとき、王はベニヤミン門の広場に座していた。 38:08エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。 38:09「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」 38:10王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。 38:11エベド・メレクはその人々を連れて宮廷に帰り、倉庫の下から古着やぼろ切れを取って来て、それを綱で水溜めの中のエレミヤにつり降ろした。 38:12クシュ人エベド・メレクはエレミヤに言った。「古着とぼろ切れを脇の下にはさんで、綱にあてがいなさい。」エレミヤはそのとおりにした。 38:13そこで、彼らはエレミヤを水溜めから綱で引き上げた。そして、エレミヤは監視の庭に留めて置かれた。(P1249)

宦官の苦悩
 自分は汚れた者、罪人、神からも疎外されている。周りからは様々な椰揄する、蔑視する声が聞こえる。男であって、男でない。生殖機能を失っている。子孫を残せない。彼がどのような理由から[宦官]になったか、わからない。
 このエチオピアの[宦官]は馬車の中で声を出してイザヤ書53章(P1149)を読んでいた。声に出して読む。どんな時か。その箇所が心にひっかかる時。感動したとき。だれのことかは分からないが、ここに記されている人物の苦悩は、どこか彼に共感するものがあったのではないか。


53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

53:7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
53:8  しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを

 ヒィリポは宦官に言った。
これはメシアのことであり、ナザレのイエスがその人である。
 このキリストの福音は、地の果てまで、罪人の中の罪人に至るまで、罪を浄め、復活の命に生かす。その救いが、光が届かないところはない。あなたもキリストによって聖なる者とされ、主の会衆に加わることが出来る。


08:26さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。
08:27フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、
08:28帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。
08:29すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。
08:30フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。
08:31宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
08:32彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、
口を開かない。
08:33卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」
08:34宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」
08:35そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。
08:36道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
08:37*フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。 08:38そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。
08:39彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。 08:40フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。