『この人による以外に』 使徒言行録4章1〜22節

 福音はどのようにして伝播していったのか。
あるいは、きょうかいはどのようにして出来、どのようにして広がり、使命を果たしていったのか。使徒言行録から学んでいます。
 イスラエルを苗代、世界を田んぼに喩えてきました。苗代としてのイスラエルは聖霊降臨後は教会にとって代わりました。福音を託された初代教会がどのようにして苗代の苗として、異邦人世界に福音を伝えていったのか、使徒言行録はその始まりを伝えている。私達もこれを学び、教会の有り方、私たちの信仰を共に考えて行けたらと願っています。
 ペトロは『金銀はわたしにはない』と言ったが、教会には財力も、この世の権力もない。ただ、イエスの名、この名を信じる信仰があるのみであり、命である。

04:01ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。 04:02二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、 04:03二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。 04:04しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。
 
「祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々彼らは使者の復活を信じていなかった。(マルコ12:18復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところに来て尋ねた・・・・・)
04:05次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。 04:06大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。 04:07そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。
 このゆゆしき事態に及んで、国の議員を初め全ての指導者、神殿の最高責任者が一堂に集まった。おそらく、イエス様が真夜中に裁判にかけられ、ペトロが三度知らないと否認したあの同じ大祭司の庭(議場)であったであろう。

04:08そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、 04:09今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、 04:10あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。
04:11この方こそ、
『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』
です。 04:12ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
 
かれは居並ぶ権力者が驚くほど大胆な態度で弁明したのです。
※ルカ12:11「あなたがたが会堂や役人、権力者のところに連れて行かれた時、何をどう言い訳しようか、何を言おうかと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がその時教えて下さる。」
 
11節の括弧に入っている言葉は詩編118:;22.23の引用です。
22:家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった。
23:これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。
 
ここではイスラエル民族に起こったことを、家を建てる者が捨てた石が隅の親石となったと言っている。新約聖書は、これを、キリスト預言であると解釈しています。(マタイ21:42 イエスは言われた。「聖書にはこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」
使徒4:11 この方こそ、『あなたがたが家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。
T・ペトロ2:7 従って、この石は、信じているあなあがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となったのであり、・・・・・」
 ペトロもまたこれを引用し、まさにこのイエスこそ神から遣わされた神の御子、この方こそ真のメシア、この名による以外に救いはない、と断言したのです。
※わたしの告白:
このイエス様はこんなどうしようもない者をも救わんと十字架で命を投げ出して下さった。わたしの行いとか性格とか一切関係無く、ただ、罪に苦しむ者を憐れみ、恵みによって、愛によって救って下さった。この方以外に救いはない。


04:13議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。

04:14しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。 04:15そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、 04:16言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。 04:17しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」 04:18そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。
以前のペトロやヨハネならいざ知らず、今の彼らは違った。そんな子供だましのような脅しにはびくともしませんでした。

04:19しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。 04:20わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 04:21議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。 04:22このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。

ペトロとヨハネはますます大胆に語り、主が共にいて下さるという確信を強めていった。一方、議員たちはトーンが下がる一方であった。足が癒された男が使徒たちと共に立っているのを見て、何の反論も出来なかった。19節は、実に力強い真実に満ちた言葉ではないでしょうか。

 自分たちの力や信心ではない。ただ、イエスの名が、その名を信じる信仰が、イエスによる信仰がこの男を強くした。ペトロは聖霊に満たされて言った「この方による以外に、ほかの誰によっても、救いは得られません。」
 全てはイエスの名、力による。
 わたしたちもイエスの名を信じる信仰にいつでもどこでも立つ、また立とうとする、これが小さき私たちの使命であり、福音の証である。