「惜しむ心ではなく、喜んで献げる」 コリントの信徒への手紙二 9章6〜10節
 
 この手紙はパウロがコリントの教会宛に書いた二度目のもので、おそらく紀元前57年頃マケドニア州のフィリピで書いたのであろうと言われている。この手紙の8.9章には募金について記されている。当時、エルサレムの教会は貧困に苦しんでいた。その地に飢饉があったのではないか、と言われている。
 なんと彼らを援助しうようとフィリピ、テサロニケ(マケドニア)、ギリシャ、コリント(アカイア)、エフェソ、ガラテヤ(小アジア)などの各地の教会に呼びかけたのです。
 このコリントの教会にも呼びかけた。コリント教会は余りよい反応ではなかった。富んではいたが、進んで献げる人は少なかった。
「聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会へ指示したように、あなた方も実行しなさい。わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自、収入に応じて、いくらかずつでも手元に取っておきなさい、。」(コリント一16:11.2)

 マケドニアの諸教会へも呼びかけた結果コリントの教会に伝えている。
8:1兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。8:2彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。8:3わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、8:4聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。
 コリント教会とは偉い違いです。彼らは極度の貧しさにもかかわらず、喜びに満ち、惜しまず進んで献げた。パウロはコリントの人たちを信じていた。彼らはきっと分かったくれる。彼らの内にもキリストの恵みがしみこんでいる(コリント一1:4わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。1:5あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知恵において、すべての点で豊かにされています。1:6こうして、キリストについての証しがあなたの間で確かなものとなったので、1:7その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。1:8主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主エイス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。1:9神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子です。わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。)

8:9あなたがたは、わたしたちの主エイス・キリストの恵みを知ってします。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなれらた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
 パウロはコリントの教会の人々に主の恵みを思い起こさせている。
 わたしたちもまた、主の恵みによって今の自分がある。この世の富と名誉、様々なものの虜になって、本当のものが見えない暗闇で、もがいていた者にキリストの光を当てて下さった。その恵みによって豊かにされている。

 コリントの教会や、私たちを豊かにしているのは神である。その豊かさを貧しい人たちのために惜しまず献げてはどうか。
09:06つまり、こういうことです。惜しんで(ケチケチして)わずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに(慈しみの心で)蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。
 信仰の恩人であるエルサレム教会が、今、貧困で苦しんでいる。どうか、惜しく心ではなく、惜しまず豊かに、慈しみの心で施そう。少しでも支えてあげよう、助けてあげよう、と言う気持ちが大切。パウロは種まきの原理を用いている。
 ※ケチと節約
 節約は大切、しかし困っている人には惜しみなく献げる。

09:07各自、不承不承ではなく(惜しむ心ではなく)、強制されてでもなく(強いられてでもなく)、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
@不承不承ではなく・・・・・心に苦痛を感じながらしない。
A強制されてでもなく・・・・・周囲の事情や勧誘によって強いられ、やむを得ずすることしない。
B前もってこうしようと心で決めて・・・・・他人との比較を考えない、他人の批評も批評も恐れない。自分の心に自由に決めたとおりに施せ。(やもめの献金:ルカ21:1イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。21:2そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、21:3言われた「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。214あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金をしたが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」)

09:08神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。
 マタイによる福音書(06:25「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 06:26空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。 06:27あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 06:28なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 06:29しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 06:30今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。 06:31だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 06:32それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 06:33何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 06:34だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」)
 空の鳥を身よ!神がそれらを豊かに養って下さる。まして、あなたがたおや!まず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば全てが加えて与えられる。

09:09「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。
 これは詩編112編9節の引用「貧しい人にはふるまい与え、その良い業は永遠に堪える。彼の角は高く上げられて、栄光に輝く」(角=力)
気前の良い人は自分も太り、他を潤す人は自分も潤う」(箴言1:25)
「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録20:35)

 今、ぎりぎりの生活で他の人に与える余裕など何もない、精神的にも辛くて人のことを考える余裕がない、と思ってしまいます。全ては主の御手の内にあります。主に求めよう。私たちのために貧しくなられた主を仰ごう。天を仰ぐとき、貧しくても与えることができるものがある。主はその手の業を見ていて下さいます。その心を見ていて下さいます。惜しむ心ではなく、喜んで与える者に、満ちあふれる恵みを与えて下さるのです。


09:10種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。