「教会の働き」 使徒言行録12章25節〜13章12節

 困窮している人たちに心を寄せ、支援できる人は幸いである。イエス様は「お前たちはわたしが飢えていたとき食べさせ、病気のとき見舞い、牢獄にいたとき訪ねてくれた。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)と言われた。

使徒言行録
12:25バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。
13:01アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。
13:02彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
13:03そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。


教会の真の姿
 13章にはパウロの第一回の伝道旅行のことが記されている。
 アンティオキア教会には色々な人がいた。
 まず、バルナバです。バルナバとは「慰めの子」という意味、本名はヨセフです。11:24には「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた。」とある。
 次にニゲルと呼ばれたシメオンです。
 「ニゲル」とは「ニグロ」と同じで、黒人という意味です。「シメオン」という名前からするとユダヤ人ですが、アフリカの黒人の血が混じっていたのでしょうか。
 次に名前が記されているのが、キレネ人ルキオ、この人はアンティオキアで異邦人に初めて福音を伝えた人であろう「11:29そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。
 次に領主ヘロデと一緒に育ったマナエンです。
 領主ヘロデとはガリラヤの領主ヘロデで、バプテスマのヨハネの首をはねた人物でした。マナエンも将来は権力者の地位を約束されていたであろう。しかし、その後この二人は対照的な道を歩むことになった。ヘロデはキリストに反するガリラヤの領主、マナエンはキリストを救い主と信じる教会に仕える指導者になった。
 そして、サウロです。
 彼はこの中で最も年が若かったであろう。おそらく、45〜50歳くらいであった。劇的な回心をしたとき30歳ぐらいであった。サウロがパウロとして整えられ、本格的に異邦人伝道の使命に立てられるのには15年の年月を要したのである。

 アンティオキアの教会はユダヤ人も半ユダヤ人も異邦人も様々な人たちがいて、兄弟姉妹としての麗しい交わりがなされていた。
 私たちは地位がどうしたとか、身分がどうだとか、肌の色が黒いだとか白いだとか、人と比較して、誇ったり、ねたんだり、無意識のうちに差別をしてしまう。聖書は、私たちは皆、罪深い者であるが、神の深い憐れみにより、キリストを通して、、罪の赦しを与えて下さる、ことを教えている。この最も小さな者のためにもキリストは十字架につかれて死んで下さったのだ、と信じていくろところに、真実な交わりが生まれてくる。
 アンティオキアの教会には受け入れがたい思いを越えて、互いの違いを受け入れ、キリストの愛と赦しに満ちた、キリストの体である教会の姿があった。教会がそういう姿になったとき、福音は内だけに留まらず、自ずと外に向かって、出て行くのである。

 神(聖霊)の働き
 アンティオキアの教会は、バルナバとサウロを異邦人への福音宣教者として外に送り出すのです。そのように導いたのは人間ではなく、神の御心であった。聖霊が告げた。13:4聖霊によって送り出された、とあるとおりである。これは神が前もって二人に決めておいた仕事、使命ミッションであったお。
 パウロに対しては9:15「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」ガラテヤ1:15「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、01:16御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた・・・・・・。」

 ※安手礼の起源?(二人の飢えに手を置いた)
 これは形式的な儀式であってはならない。アンティオキアの教会の心は、神の使命を果たすためにこの二人を宣教のために送り出すが、それは教会全体の働きでもある。頭の上に手を置く、ということは、我らはその責任と光栄を共有する者である、という固い意志の表明である。二人を送り出して、それで終わりというのではない。そのために祈り、様々な援助を惜しまないという強い決意を表すためである。

 異邦人伝道へ(13:4〜12)
13:04、 バルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し
13:05サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。
13:06島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。
13:07この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。
13:08魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。
13:09パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、
13:10言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。
13:11今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
13:12総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。

 このようにしてバルナバとサウロは第一回の伝道旅行に送り出されたのである。
 最初はサラミス(キプロス島)のユダヤ人教会で神の言葉を告げた。ここはユダヤ人の植民地であった。ユダヤ人には会堂(シナゴグ)があって話しやすかった。パウロやバルナバにとっても異邦人伝道は手探り状態であった。二人はそこから島の反対側まで(約160q)とにかく巡り歩いた。

 私たちは信仰の継承を叫んで久しい。何処の教会も家庭でも難しさを覚えています。しかし、いつの時代であっても、最も基本的なことだがまず、わたしたちが御言葉に固く立ち、福音に生かされることしかない。それが私たちが生かされている最大の使命である。そのためには日ごとに聖書の御言葉(一日一章)にふれることが大切である。

 魔術師(エリマ)バルイエスは二人に反対して、総督を信仰から遠ざけようとした。その時、パウロ(この時からサウロ:ユダヤ名からパウロ:ローマ名に)が聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけていった。「主のまっすぐな道をゆがめようとする不届き者、お前の目が見えなくなれ!」聖霊に満たされたパウロらしい激しい言葉であった。するとたちどころに魔術師の目が見えなくなった。
 総督は非常に驚き、信仰に入った。総督が引き続いて信仰を持ち続けたか、どうか分からないが、パウロは神が確かに働いて下さった事に力を得て、異邦人伝道に進むことが出来た。
 この時から、ペトロでもバルナバでもなく、パウロが中心となって異邦人伝道はめざましい伸展を遂げていくのです。

 私たちも教会の使命を全うできるように、御言葉に固く立ち、福音に生かされるように努めたいものである。信じて神の御業に期待しよう!