詩篇66編1〜9節

1.指揮者によって、。歌。讃歌。
 全地よ、神に向かって喜びの叫びをあげよ。
2.御名の栄光をほめ歌え。
 栄光に讃美を添えよ。
3.神に向かって歌え
 「御業はいかに恐るべきものでしょう。
 御力は強く、敵はあなたに服します。
4.全地はあなたに向かってひれ伏し
 あなたをほめ歌い
 御名をほめ歌います」と。
5.来て、神の御業を仰げ
 人の子らになされた恐るべき御業を。
6.神は海を変えて乾いた地とされた。
 人は大河であったところを歩いて渡った。
 それゆえ、我らは神を喜び祝った。
7.神はとこしえに力強く支配し
 御目は国々を見渡す。 
 背く者は驕(オゴル)ることを許されない。
8.諸国の民よ、我らの神を祝し
 讃美の歌声を響かせよ。
9.神は我らの魂に命を得させてくださる。
 我らの足がよろめくのを許されない。


 ビビアンの宝物(Treasures of Vivian)
26.「あなたを、私の心に深くとめています。」(フィリピの信徒への手紙1:7)
     NO,1 国仲寛一 より抜粋

 戦前の東京には、多くの苦学生がいました。家からたくさん仕送りをもらえる学生の生活は、気楽なものでしたが、殆どはとても貧しい学生でした。そして、国仲さんも、その一人でした。彼は早稲田大学3年生の時、クリスチャンになり、自分の心を全て主に献げていました。彼は聖書研究会のリーダーでしたが、よく病気をしました。彼らの寮は木造で、すきま風が入り、寒かったのが一因だったのかもしれませんが、彼は数日間続けざまに良く寝込みました。国仲さんはおさがりの古い茶色のオーバーを持っていましたから、私はよく破れた裏地を繕ってあげました。・・・・・卒業後、彼は東京で小学校の教師になりました。・・・・・
 戦後、国仲さんは私の住所を探し出して、沖縄の南にある島のひとつである宮古島から手紙をくれました。「翻訳や通訳の手伝いをするため、アメリカ軍が私を宮古島に連れてきました。」と書いてきました。そして彼は島に誰一人としてイエスさまのことを聞いたことがないのを知り、伝道を始め、子供会もしました。・・・・・また、国仲さんは丘にあるハンセン病患者の療養所でも、礼拝を持ちました。彼はハンセン病患者を愛し、信者となった者もありました。でも国仲さんの弱い体は、すでに健康を損なっていたようでした。・・・・・
 ある日、軍医さんから手紙が届き、「国仲さんは危篤の状態です。結核が再発してしまいました。」と書いてありました。案の定、結核が再発した国仲さんは、二度と回復することはありませんでした。彼の奥さんの手紙には、彼が死んだときには、ハンセン病療養所が建っている丘の中腹に埋めてくれるように頼んだ、と書いてありました。そして、信者達への彼の最後の言葉は「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)というキリストの言葉でした。・・・・・
 国仲さん、あなたの生き方、そして信仰は、あなたが伝道した人たちの心の中で生き続けています。そして、わたしはあなたのことを、深く心に留めています。