ルカによる福音書5章27〜32節

5:27 その後、イエスは出ていって、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。5:285 彼は何もかも捨てて起ち上がり、、イエスに従った。5:29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。5:30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」5:31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

 人の人生は皆、貴重(次へ受け継がれる)
 私のおじいさんはなかなかのやり手で、村会議員になったり、潰れかかった米屋を買い取り、、そんめんやうどんを作り、手広く商売をして、店を大きくしました。父はそれを引き継いで米屋の二代目となりました。二代目の悲しさ、ハングリー精神の欠如、商売気のなさでしょうか、真面目ではあったが、旧態依然としたやり方で、時はおりしも高度成長期、時流から取り残されていきました。父の兄、私のおじさんは少し離れたところで、おなじ米屋をやっていましたが、闇米なども扱いそれなりに成功していました。結局、私の父は商売替えをし、のれんの玉を作る仕事を始めましたが、健康を害して、それも頓挫してしまいました。時は悪く、兄と私への仕送りで、最もお金のいるときで、父はしかたなく田地田畑を売ったり、親戚にお金を借りたりして(後で知った)、金策に苦労をしたようです。父は自分がお金に苦労した分、子供にはお金の苦労はさせないようにと、無理して学校にやってくれました。ですからなんと言ってもお金だ、とお金の大切さを強調していました。
 私はといえば、家から離れていることもあってか、親の心子知らずで、自分勝手にさまよっていました。でもどこかで、この社会は真面目だけではだめだ。結局のところ、人を押しのけ、踏み台にしてでも、上に上がり、うまくやっていく者が得をし、成功するんだ、という思いが大きくなっていった。そんな矢先に私は教会に行き、イエス・キリストを通して、根本的に価値観が変わって、牧師になったわけです。神学校に行くと言ったとき、父は私が金にもならん道を選んだことで、生活の心配をしたのです。「霞を食っては生きていけないぞ」と言った。私は父の期待を裏切り、正反対の道に行ったのです。しかし、今日まですべての必要が満たされ、生活に困ったことは一度もなかった。

 お金持ちになることが悪いことではない。お金は大きな力を持っています。諸刃の剣です。使いようによっては多くの人を助けることも出来ます。歌手として俳優として成功している杉良太郎は、親を失ったベトナムの子供50人以上を里子として、20年以上も育てている。年に二回里子に会いにベトナムに行くそうです。長年続けていることがすごい。これには多くのお金が必要です。売名行為と批判する人もいるそうですが、現に沢山の子供が助けられているのですから、立派なことです。
 イエス様は「受けるよりは与える方が幸いである。」と言われた。(使徒言行録20:35)

 レビという徴税人
 さて、ここにレビという人が出てきます。英語ではリーバイLevi、ジーンズにも付いている名前です。この名前からすると彼は生粋のユダヤ人で、その中でも由緒ある祭司の家系であろうと思われます。レビ族はイスラエルの12部族の中で、唯一神殿に仕える部族でした。
旧約聖書・申命記10章9節「それゆえレビには、兄弟たちと同じ嗣業(受け継ぐ土地)の割り当てがない。あなたの神、主が言われたとおり、主御自身がその嗣業である。

 ところがここに出てくるレビは神殿で仕える仕事は選ばなかった。こともあろうに売国奴とまで言われ、同胞からは罪人扱いされる徴税人となった。なぜ、そのような職業に就いたのだろうか。
 祭司になれず、その下で働く雑用係しかなれなかったからだろうか。貧しい生活に嫌気がさしたのだろうか。

 牧師は世襲制ではないが、レビ人は世襲制がほとんどで、レビのお父さんアルファイ(マルコ2:14)は、祭司か、レビ人として神殿で仕えていた可能性が高い、レビはその父親を見て反発したのかも知れない。また途中で、アルファイの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った
 当時、祭司達の中には神殿の利権(両替人、犠牲の動物を売る)を悪用して金儲けをしていた者もいた。(宮清め、ヨハネ2:13〜)また、ローマ政府と結託している祭司もいた。2:13さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。2:14そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、2:15なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、2:16はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。
 このレビ人は、そんな祭司に嫌気がさしてのかもしれない。ユダヤ人からすれば、最も堕落したレビ人、敵国の手先となって税金を不当に集める徴税人となった。

 そのレビがイエス様の招きのをと聞いて、即座に何もかも捨てて立ち上がり、イエス様に従ったのです。つまり、金づるであった徴税人の仕事をも捨てた。彼は望んでいたお金も家を豊かな生活も手に入れた。しかし、彼は同胞から罪人と見なされ、その差別に苦悩し、耐えられなかった。彼は自分の罪責感、罪の意識に深くさいなまれていた。イエス様はそんなレビに声をかけられた。『私に従ってきなさい。』レビはその声を、神の招きの声として聞いた。神様はこんな私でも見捨てておられない。私にも救いの御手を伸べておられる。彼は躊躇なく、何もかも捨てて、立ち上がってイエス様に従った。
 レビはその時、腹の底から言いしれぬ喜びがわき上がった。彼は自分を招いてくれたイエス様を、今度は自分の家に招待して大宴会を催した。そこには徴税人仲間がたくさん来て共に喜んでくれた。

 私たちは皆、医者を必要とする病人です。私たちは誰も正しい人はいません。皆、罪多き、欲に捕らわれたレビです。また、自分を正しい者として、他人を裁くファリサイ派の人です。イエス様はその私たちを救うために来て下さったのです。皆、神に招かれているのです。さあ、立ち上がってイエス様に従って行きましょう。