「神の民となるために」 エレミヤ書11章1〜10節

 マナセ王の55年に及ぶ悪政によって、ユダ王国はオリエントの最強国アッシリア帝国の属国として政治的にも宗教的にもモーセ宗教的伝統と相反する在り方をし、カナン的豊穣宗教の体系(バアル、アシュラ、モロク、天后など)を受容し、あるいはこれと伝統的ヤハウェ(創造主)信仰とを習合(バアル化)させた。カナンの偶像神に心を奪われ、堕落していく民へ、エレミヤは北から強い敵が攻めてくることを預言し、「主の言葉を聞け、あなた方は行ける水の源である主を捨てて、無用の水溜を掘った。(2:13)背信の子らよ、立ち帰れ。わたしこそあなたたちの主である。(3:14)心の悪を洗い去って救われよ。」エレミヤは神の言葉を余ることなく告げるのであるが、民はそれを聞き入れなかった。(7:1〜11)7:1主からエレミヤに臨んだ言葉はこうである。7:2「主の家の門に立ち、その所で、この言葉をのべて言え、主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。7:3万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。7:4あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。7:5もしあなたがたが、まことに、その道と行いを改めて、互に公正を行い、7:6寄留の他国人と、みなしごと、やもめをしえたげることなく、罪のない人の血をこの所に流すことなく、また、ほかの神々に従って自ら害をまねくことをしないならば、7:7わたしはあなたがたを、わたしが昔あなたがたの先祖に与えたこの地に永遠に住まわせる。7:8見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。7:9あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら7:10わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。7:11わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる。

(7:21〜26)7:21万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、「あなたがたの犠牲に燔祭の物を合わせて肉を食べるがよい。7:22それはあなたがたの先祖をエジプトの地から導き出した日に、わたしは燔祭と犠牲とについて彼らに語ったこともなく、また命じたこともないからである。7:23ただわたしはこの戒めを彼らに与えて言った、『わたしの声に聞きしたがいなさい。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。わたしがあなたがたに命じるすべての道を歩んで幸を得なさい』と。7:24しかし彼らは聞き従わず、耳を傾けず、自分の悪い心の計りごとと強情にしたがって歩み、悪くなるばかりで、よくはならなかった。7:25あなたがたの先祖がエジプトの地を出た日から今日まで、わたしはわたしのしもべである預言者たちを日々彼らにつかわした。7:26しかし彼らはわたしに聞かず、耳を傾けないで強情になり、先祖たちにもまさって悪を行った。

 ところがエレミヤが預言者となって5年目、ヨシヤ王の大8年(BC621年)、神殿の障壁などの修理の最中に、律法の書(契約の書、申命記)が発見されたのである。(列王記22:8その時大祭司ヒルキヤは書記官シャパンに言った、「わたしは主の宮で律法の書を見つけました」。そしてヒルキヤがその書物をシャパンに渡したので、彼はそれを読んだ。) ヨシヤ王はこの書の言葉、申命記(5:1〜9、6:1〜4)を聞いて心を刺され、全ての偶像を取り除いて、これに従って、主にのみに礼拝を捧げたのである。
申命記5:1さてモーセはイスラエルのすべての人を召し寄せて言った、「イスラエルよ、きょう、わたしがあなたがたの耳に語る定めと、おきてを聞き、これを学び、これを守って行え。5:2われわれの神、主はホレブで、われわれと契約を結ばれた。5:3主はこの契約をわれわれの先祖たちとは結ばず、きょう、ここに生きながらえているわれわれすべての者と結ばれた。5:4主は山で火の中から、あなたがたと顔を合わせて語られた。5:5その時、わたしは主とあなたがたとの間に立って主の言葉をあなたがたに伝えた。あなたがたは火のゆえに恐れて山に登ることができなかったからである。主は言われた、5:6『わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。5:7あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない。5:8あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どのような形をも造ってはならない。5:9それを拝んではならない。またそれに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて三、四代に及ぼし、
申命記6:1これはあなたがたの神、主があなたがたに教えよと命じられた命令と、定めと、おきてであって、あなたがたは渡って行って獲る地で、これを行わなければならない。6:2これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである。6:3それゆえ、イスラエルよ、聞いて、それを守り行え。そうすれば、あなたはさいわいを得、あなたの先祖の神、主があなたに言われたように、乳と蜜の流れる国で、あなたの数は大いに増すであろう。6:4イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

エレミヤもヨシヤ王の政治指導による宗教改革(申命記改革)に同調し、あちこちで民に向かって語った。それが11章である。
11:1主からエレミヤに臨んだ言葉は言う、11:2「この契約の言葉を聞き、ユダの人々とエルサレムに住む者に告げよ。11:3彼らに言え、イスラエルの神、主はこう仰せられる、この契約の言葉に従わない人は、のろわれる。11:4この契約は、わたしがあなたがたの先祖をエジプトの地、鉄のかまどの中から導き出した時に、彼らに命じたところのものである。すなわち、その時わたしは彼らに言った、わたしの声を聞き、あなたがたに命じるすべてのことを行うならば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。11:5そして、わたしがあなたがたの先祖に、乳と蜜との流れる地を与えると誓ったことを、なし遂げると。すなわち今日のとおりである」。その時わたしは、「主よ、仰せのとおりです」と答えた。11:6主はわたしに言われた、「このすべての言葉を、ユダの町々と、エルサレムのちまたに告げ示し、この契約の言葉を聞き、これを行え、と言いなさい。


 神の民となるために (信仰の純粋性)
 キリストを信じる信仰者はこの世に置かれ、生活し、証していくわけですが、その中で、いかに信仰の純粋性を保ち、神との関係を深めていくか。様々な誘惑がある。一人一人置かれている状況が違う。これは結婚にもたとえられる。夫婦は初めから強い絆で結ばれているのではない。2人で多くの困難を乗り越えていくところに絆は強まり、関係は深くなるのである。もっとも具体的に言えば、多くの時間、試練を共有することである。神はイスラエルの民をエジプトからシナイの荒れ野に導いて、純粋な関係性を築こうとされた。しかし、約束の地カナンで他の神々との習合がおこった。(霊的な姦淫3:6〜11)
エレミヤ3:6ヨシヤ王の時、主はまたわたしに言われた、「あなたは、かの背信のイスラエルがしたことを見たか。彼女はすべての高い丘にのぼり、すべての青木の下に行って、そこで姦淫を行った。3:7わたしは、彼女がこのすべてを行った後、わたしの所に帰るであろうと思ったが、帰ってこなかった。その不信の姉妹ユダはこれを見た。3:8わたしが背信のイスラエルを、そのすべての姦淫のゆえに、離縁状を与えて出したのをユダは見た。しかもその不信の姉妹ユダは恐れず、自分も行って姦淫を行った。3:9彼女にとって姦淫は軽いことであったので、石と木とに姦淫を行って、この地を汚した。3:10このすべての事があっても、なおその不信の姉妹ユダは真心をもってわたしに帰らない、ただ偽っているだけだ」と主は言われる。3:11主はまたわたしに言われた、「背信のイスラエルは不信のユダよりも自分の罪の少ないことを示した。

申命記改革で、再び契約の言葉を聞く。契約の言葉に従い、契約の言葉を行うことで、信仰の純粋性を回復させようとした。真剣になって行おうとすることによって、神との密なつながりとなる。
 ヨシヤ王の政治主導によって民はこれに従ったが、それは形だけ、形式的、表面的で心が伴っていなかった。つまり、実際には聞き従っておらず、行いになっていなかった。ヨシヤ王の死後(609年)、再び元に戻る。
◎心に書き記される契約(31:31〜34)
エレミヤ31:31主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。31:32この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。31:33しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。31:34人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

◎キリストの十字架で流された血によって記される。
 コリント二3:3「あな方は、キリストが私達(パウロたち)を用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける霊によって、石の板ではなく、人の心の板に、書き付けられた手紙です。