「主の祈り@」  マタイによる福音書6章9〜13節
           ルカによる福音書11章2〜4節

「天にまします我らの父よ、
願わくは、御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。
われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ。
われらを試みに会わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり」。

 今年の大会のテーマは「和解の恵みと務め」聖書はコリント第二5:17−21でした。その冒頭に17節の聖句は私を新しくしてくれた、忘れられない御言葉です。今年は二百名の参加者がありました。(昨年の紀南は150名)。80歳以上の方々も何人かおられた。70歳代の方々も多くおられました。78歳の岸牧師のようにガンにかかり、あと3ヶ月と医者から宣告されたが、病気をおして参加されたておられました。中野先生は昨年奥様を天に召されましたが、大会の関係者や苦闘している兄姉を励まそうと参加された。木村牧師はガンの奥様から、是非行ってきて下さいと押し出されて前日申し込んで参加。これら信仰の先輩方の生き様、祈りは私たちの信仰の手本です。ああ、ああいう信仰者になりたい、と思う。岸本牧師は交わりを持たない教会はダメになる、ときっぱりと言った。これは故人の信仰においてそうでしょう。よき信仰者を見て、その交わりを通して学び、自分の姿を知らされ、また励もうとする。

1.祈りの手本、見本
 主の祈りは私たちの祈りの完全な手本、見本です。
ルカによる福音書11章イエスが言われた「祈るときには、こう言いなさい・・・・。父よ、御名が崇められますように。」
習字を習うには手本を見て何度も何度もよく練習します。それが上達のこつです。自己流はいけません。記憶し、繰り返し、まねをする。祈りにおいても、まずはかたちからまねる、そして表面的だけでなく、その精神を理解し、やがて自分の言葉として祈る。

2.これはイエス様の祈りです。
 まず、神様を父よ(アバ・お父ちゃん)、と親しく呼びかけることは、私たちには出来ない。私たちはこのような祈りはしません。出来ません。
しかし、イエス様は私たちもそのように呼びかけ、この祈りを私たちの祈りとするために、御自分と父の関係の中に私たちを入ってくるように招いておられる。
ヨハネによる福音書
17:21 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。
17:22 あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
17:23 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。
17:24 父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。

ローマ信徒への手紙
8:15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
 これらの御言葉に励まされて、父よ、と呼びかけましょう。しっくりいかなくても。

 同じく、「御名(神)を崇めさせたまえ」とは祈りません。自分の名や家族の名が上がりますようにとは祈る。自分や一家の繁栄を祈る。これならしっくりいく。神の名が崇められるように、神が褒め称えられるように、とは自然には祈らない。
 しかし、万物の創造者が、塵にも等しい罪人のために御子をさえ惜しまずに与えて下さる、この神を知れば知るほど、死も命も神の御手の内にあることを確認する。全ての中にその神の為される御業を見て、神の偉大さを崇めさせて下さい、と祈るのです。
 神を崇め、讃美することこそ、人間の最高の栄誉です。

3.執り成しの祈り
 「我」ではなく、「我ら」とある。
 これは自分(個人)の祈りでもあるが、教会、つまり信仰の共同体の祈りでもある。「われらの日用の糧を、与えたまえ」と祈るときに、私だけの糧ではなく、私につながる者たちも食べ物を与えてくださいと祈っているのです。また、「われらの罪をも赦したまえ」と祈るときに自分だけでなく他の人のために罪の執り成しの祈りをしているのです。

 気を落とさず、祈り続けることの大切さ。
 朝起きたとき、主の祈りを2回繰り返し祈る。寝床において声を出して祈り、起き上がる。(桜島の噴火・昨年885回、24回/日)
 ルカ18章ではやもめと裁判官とのたとえで「気を落とさず絶えず祈れ」と勧めている。
 ルカ福音書の主の祈りを教えた後には「真夜中に伴に執拗にパンを求める友人のたとえ、そして求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開けてもらえる。天の父は求める者に聖霊を与えて下さる。」と記している。