「神が清めたもの」 使徒言行録 10章1〜33節
 
 (聖なる者へ)
 イスラエルの人たちは、私たちの想像以上に異邦人との交わりを拒んでいた。
 使徒ペトロはあちこちをめぐり歩いて、散らされて行った信者たちを励まし、教えて回っていた。リダにも、そして地中海沿岸の港町ヤッファにまで足を伸ばした。神は異邦人に福音を届けようと着々とその布石を打ち、ペトロを導いておられらのである。その異邦人として白羽の矢が立ったのがカイサリアにいた百人隊長のコルネリウスであった。

 1.コリネリウスに天使が(10:1〜8)
10:01さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、 10:02信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。 10:03ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。10:04彼は天使を見つめていたが、怖くなって、「主よ、何でしょうか」と言った。すると、天使は言った。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。 10:05今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。 10:06その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。」 10:07天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、 10:08すべてのことを話してヤッファに送った。
 神は、イタリア人であるこの異邦人に、福音を伝えようと天使を通して働きかけたのです。
 まず、天使が午後3時頃「コリネイルス」よ、と彼の名を呼んだのです。敬虔なユダヤ人は午前9時、12時、午後3時に祈りを捧げていた。コリネリウスも午後3時に祈りを捧げていたのです。天使は10:05今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。 10:06その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。」
 コルネリウスは何故それほどまでに神を畏れ、祈り、施しをしていたのか。そのように信仰深く、慈悲深いコルネリウスは何を祈り願っていたのでしょうか。パウロもそうでしたが、真剣になればなるほど、慈善をすればるすほど、律法の行いによっては罪の自覚が増すことに苦悩し、罪からの解放を祈り求めていたのではないでしょうか。軍人でありながら、いや軍人だからこそ罪について、生と死について真剣に考えていたのでしょう。
 その祈りは神に届いていたのです。

 2.ペトロに幻で不思議な光景が(10:9〜16)
10:09翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。 10:10彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、 10:11天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。 10:12その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。 10:13そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。 10:14しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」10:15すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」10:16こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。
 一方、ペトロに対して神は、不思議な幻を見せ、異邦人への壁を取り除こうとされました。これもペトロが昼の12時の祈りのために屋上に上がっていたときでした。不思議な光景:天から大きな風呂敷のような布が四隅でつるされて、降りてきた中には様々な動物、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、ペトロに屠って食べよ、との声があった。ペトロは、そんな汚れた、清くない動物は食べたことがない、と答えた。何故、律法を定め、食べ物を規制したのか。
※レビ記11章(P14811:01主はモーセとアロンにこう仰せになった。 11:02イスラエルの民に告げてこう言いなさい。地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、 11:03ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするものである。 11:04従って反すうするだけか、あるいは、ひづめが分かれただけの生き物は食べてはならない。らくだは反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。 11:05岩狸は反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。 11:06野兎も反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。 11:07いのししはひづめが分かれ、完全に割れているが、全く反すうしないから、汚れたものである。 11:08これらの動物の肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない。これらは汚れたものである。 11:09水中の魚類のうち、ひれ、うろこのあるものは、海のものでも、川のものでもすべて食べてよい。 11:10しかしひれやうろこのないものは、海のものでも、川のものでも、水に群がるものでも、水の中の生き物はすべて汚らわしいものである。 11:11これらは汚らわしいものであり、その肉を食べてはならない。死骸は汚らわしいものとして扱え。 11:12水の中にいてひれやうろこのないものは、すべて汚らわしいものである。 11:13鳥類のうちで、次のものは汚らわしいものとして扱え。食べてはならない。それらは汚らわしいものである。禿鷲、ひげ鷲、黒禿鷲、 11:14鳶、隼の類、 11:15烏の類、 11:16鷲みみずく、小みみずく、虎ふずく、鷹の類、 11:17森ふくろう、魚みみずく、大このはずく、 11:18小きんめふくろう、このはずく、みさご、 11:19こうのとり、青鷺の類、やつがしら鳥、こうもり。 11:20羽があり、四本の足で動き、群れを成す昆虫はすべて汚らわしいものである。 11:21ただし羽があり、四本の足で動き、群れを成すもののうちで、地面を跳躍するのに適した後ろ肢を持つものは食べてよい。 11:22すなわち、いなごの類、羽ながいなごの類、大いなごの類、小いなごの類は食べてよい。 11:23しかし、これ以外で羽があり、四本の足をもち、群れを成す昆虫はすべて汚らわしいものである。 11:24以下の場合にはあなたたちは汚れる。死骸に触れる者はすべて夕方まで汚れる。 11:25また死骸を持ち運ぶ者もすべて夕方まで汚れる。衣服は水洗いせよ。 11:26ひづめはあるが、それが完全に割れていないか、あるいは反すうしない動物はすべて汚れたものである。それに触れる者もすべて汚れる。 11:27四本の足で歩くが、足の裏の膨らみで歩く野生の生き物はすべて汚れたものである。その死骸に触れる者も夕方まで汚れる。 11:28死骸を持ち運ぶ者は夕方まで汚れる。衣服は水洗いせよ。それらは汚れたものである。 11:29地上を這う爬虫類は汚れている。もぐらねずみ、とびねずみ、とげ尾とかげの類、 11:30やもり、大とかげ、とかげ、くすりとかげ、カメレオン。 11:31以上は爬虫類の中で汚れたものであり、その死骸に触れる者はすべて夕方まで汚れる。 11:32これらの生き物の一つが死んで、何かの品物の上に落ちた場合、それが木の器、衣服、皮、袋、その他何であれ道具であるなら、汚れる。それは水に浸しておかねばならない。夕方まで汚れるが、それ以後は清い。 11:33その死骸が土器の中に落ちた場合、その中のものはすべて汚れる。その土器は壊す。 11:34この器の中の水がかかった食物はすべて汚れる。またその器の水を飲んだ場合、汚れる。 11:35これらの死骸の一つが、かまどや焜炉に落ちたならば、それらを壊す。汚れたからである。それは汚れたものになる。 11:36しかし泉やため池に死骸が落ちた場合、その水は清いままである。ただし、その中の死骸に触れた者は汚れる。 11:37それらの死骸の一つが種もみに落ちた場合、種もみは清いままである。 11:38しかし種もみが水に浸されていて、その上に死骸が落ちた場合、種もみは汚れる。 11:39食用の家畜が死んだとき、その死骸に触れた者は夕方まで汚れる。 11:40その死骸の一部でも食べた者は、その衣服を水洗いせよ。その人は夕方まで汚れている。またその死骸を持ち運んだ者も衣服を水洗いせよ。夕方まで汚れているからである。 11:41地上を這う爬虫類はすべて汚らわしいものである。食べてはならない。 11:42すなわち、腹で這うもの、四本ないし更に多くの足で歩くものなど、地上を這う爬虫類はすべて食べてはならない。汚らわしいものである。 11:43あなたたちはこれらすべての爬虫類によって自分自身を汚らわしいものとしてはならない。これらによって汚れ、それによって身を汚してはならない。 11:44わたしはあなたたちの神、主である。あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである。地上を這う爬虫類によって自分を汚してはならない。 11:45わたしはあなたたちの神になるために、エジプトの国からあなたたちを導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい。 11:46以上は動物、鳥類、魚類、および地上を這うすべての生き物についての指示であり、 11:47汚れたものと清いもの、食べてよい生き物と食べてはならない生き物とを区別するためである。)
 [ユダヤ教]
コーシェル(適正食品)          ※イスラム教・・・・・ラハール(合法的)
(『現代人のためのユダヤ教入門より』)。
 「ユダヤ教は、ユダヤ人にモラルある民であり、聖なる民であることを命じている。人類は神の似姿として創造されたが、また動物でもある。・・・・・・ユダヤ教は、人間の動物的行為を否定したり侮辱したりする代わりに、律法を通してこれらを聖化する。動物的活動の中でももっとも頻度の高い、食べる行為の品位を高めるために、数多くのミツバ(おきて)を規定している」
 人は食べたいものは何でも食べてよいというのでなく、食べ物に制限を付けて守れることこそ、人間が動物でない所以だとユダヤ教は考えるわけです。しかも、その制限理由が、神が命じたからそれを守るんだというとき、それ自体が宗教行為になります。
 適正食品規定を守ることによって、ユダヤ民族のアイデンティティーが守られたことは確実です。コーシェルを守ろうとすれば、非ユダヤ人と一緒に食卓をかこめませんから、もっとも基本的な日常生活において他の民族と交流できません。長い離散の歴史の中で民族の個性を維持することができました。

 何故、汚れた動物を屠って食べよ、と云われるのか。
今まで守ってきた律法の規定は何だったのか。

 3.ペトロに幻の意味を(10:17〜23)
10:17ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、 10:18声をかけて、「ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか」と尋ねた。 10:19ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。 10:20立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」 10:21ペトロは、その人々のところへ降りて行って、「あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここへ来られたのですか」と言った。 10:22すると、彼らは言った。「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。」 10:23それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた。翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。
 ペトロにとってこの幻は、今までの考えを180度変えなければならないようなことだったので、「思案に暮れ、なおも幻について考え込んでいた」
 霊が(聖霊が)こう言った。「下に三人の者が来ている。私がよこしたのだ。ためらわずに一緒に行きなさい。」
 ペトロは彼らを見たとたん異邦人であるとわかった。さらに彼らに質問して、百人隊長からの使いであって、何故、ペトロの所に来たかを聞いた。これによって、ペトロは幻の意味がはっきりと分かってきた。

 4.ペトロ、ついに異邦人コルネリウスのところに(10:24〜33)
10:24次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。 10:25ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。 10:26ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」 10:27そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、 10:28彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。 10:29それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」 10:30すると、コルネリウスが言った。「四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、 10:31言うのです。『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。 10:32ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある革なめし職人シモンの家に泊まっている。』 10:33それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」
 ここにいたってペトロは間違いなく、天から下りてきた汚れた動物の意味が分かった。28.29節にいっているとおりである。3年間イエス様と行動を共にしたペトロでさえ食事の規定、異邦人に対しする偏見、汚れる思い、に捕らわれていたのですから、ユダヤ人にとって実に根強いものがあった。
 ある牧師さんの本に書いていたことですが、牧師になって相当な年数が経っているのに、恐ろしい夢を見た時、夢の中で思わず、南無阿弥陀仏と唱えていた、そうでう。
 しかし、偶像に捕らわれた異邦人であろうと、かたくななユダヤ人であろうと、神がその福音を届けようとされるとき、どのような高い壁も越えさす不思議な体験と導きと思いを与えて下さるのです。

 この規定は差別ではなくて、聖と欲、清さと罪けがれを教えるためであった。「食事における規定、律法を通して、最終的には神の聖と人間の内面における罪けがれを自覚させ、ユダヤ人も異邦人も神の前には皆同じ汚れたものであること。どんなに汚れた食物、動物、異邦人を避けても、多くの施しをしても、罪けがれは取り除くことは出来ない。律法を守ることでは義とされない。律法によっては罪の自覚が生まれるのみである。ただ、キリストを信じる信仰によってのみ罪けがれは清くされ、神の聖に預かる者」と呼ぶのである。あなた方は聖なる者となりなさい、とはそういうことである。律法ではなく、キリストを通して聖化される。
 食べ物や、神を信じない人と交わることが人を汚すのではなく、人を汚すのは人の心の中から出る汚れた言葉と行為によってである。
 マルコによる福音書 07:18イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。 07:19それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」 07:20更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。 07:21中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、 07:22姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、 07:23これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」
 このことにおいてユダヤ人も異邦人も、身分も、人種も、大人も子供も変わりない、皆同じ。キリスト(福音)を必要としない者は一人もいない。