「神の選びと目的」 ヨハネによる福音書15章16.17節

05:16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。
あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 15:17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

 ここは使徒職の選任のことであるけれど、私達クリスチャンになることも、その延長線上にある、といえる。つまり、私達も主の恵み、祈りによって選ばれるのであり、イエス様は「私があなた方を選んだ」といわれるのである。
 私達はよほどの召命感や、特殊な体験が無い限り、神に選ばれたという思いより、自分で選んで教会に来た、イエスを信じたいという思いの方が強いのではないだろうか。自分で求め、自分で捜し、自分で選び、自分で教会に行き、自分でイエス・キリストを信じた、と考える。

 神の選びはその人が優秀だから選ばれ、あの人は優秀でないから選ばれないと言うことではない。一言で言えば、全ての人が選びの対象である。早いか、遅いかである。神の秩序がある。ユダヤ人たちは早く選ばれ、異邦人は遅く選ばれた。しかし、後から選ばれたい異邦人が先になっている。何故か。神の選びには目的があった。ユダヤ人は選ばれた目的を果たさなかった。

05:16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。
 ここには神の深い意図が込められている。主の選びには目的がある。
 神の選びの目的
あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 15:17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
@出かけていって実を結ぶ=人々に神のみ心・福音を伝え、信じる者が生まれるため。宣教のため。
A実が残る=信じた者がキリストに繋がり、教会につながるため。
B父が祈ることが何でもかなえられるために。神との深い信頼関係のため。
Cイエス様(メシア)が弟子たちを愛されたように、互いに愛し合うため。

 エフェソの信徒への手紙より
01:04天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 01:05イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。 01:06神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。 01:07わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
 ☆聖なる者、汚れのない者にするため。
 御子キリスト(メシア)の血によって罪が贖われ、罪を赦され、聖なる者、汚れのない者にされた。(=福音)
 ☆神の子とするため。
 ☆御子によって与えてくださった輝かしい恵みを褒め称えるため。
  神の愛と神の恵みの大きさを知らせるために選ばれた。

 何か特別な働きのために選ばれている。
 幕屋建設(教会)のために(出エジプト記35章)
35:01モーセはイスラエルの人々の共同体全体を集めて言った。
35:05あなたたちの持ち物のうちから、主のもとに献納物を持って来なさい。すべて進んで心からささげようとする者は、それを主への献納物として携えなさい。
35:21心動かされ、進んで心からする者は皆、臨在の幕屋の仕事とすべての作業、および祭服などに用いるために、主への献納物を携えて来た。
36:01ベツァルエルとオホリアブ、および知恵と英知を主から授けられ、聖所の建設のすべての仕事を行うに必要な知識を与えられた、心に知恵のある者は、すべて主が命じられたとおり、作業に当たらねばならない。
38:21幕屋建設の記録はレビ人
 モーセはこうして、その仕事を終えた。
40:34雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。 40:35モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。 40:36雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。 40:37雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。 40:38旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。

 先週、総会で色々な奉仕当番を決めました。聖書には、それを嫌々ながらではなく、あるいは義務からでもなく快く喜んでする者を神は祝福して下さる、とある。互いに謙遜に仕え合おうではないか。教会はキリストの体である。ローマの信徒への手紙12章、総会で読んだ箇所。
ローマ 12:03わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。 12:04というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、 12:05わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。 12:06わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、 12:07奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、 12:08勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く(心から進んで)行いなさい。

 教会に来て、キリストに繋がるなら、その人は神に選ばれた人であって、その人には神の選びの目的がある。自分はこのために選ばれたと自覚する者もいれば、気付かない者もいる。後になって、賜物に気付く場合もある。誰かが私はこのために選ばれたのだと思えば、どんなに小さなことであってもそれを熱心に行いなさい。まずは礼拝への出席、これは何をするよりも主が喜ばれることです。それから賜物に応じて、熱心に、快く行いなさいと勧めています。
 一人一人が進んで、心から献げたとき幕屋に主の栄光が満ちた、とあるように、教会もそのような姿となるように一歩一歩進んでいきましょう。