「まことの礼拝へ」 ヨハネによる福音書4章1〜26節

 この福音書を書いた使徒ヨハネは、イエス様が伝道の初期に、すでにユダヤ人以外のサマリアの女に福音を語ったことを記しています。
 イエス様がどうしてサマリアを通らねばならなかったか、をヨハネは1〜4の所で説明をしています。
04:01さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、
04:02――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――
04:03ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。
04:04しかし、サマリアを通らねばならなかった。

 普通ユダヤ人が通らない山岳地帯のサマリア地方を通ってガリラヤへ行く道を通られたのです。弟子たちにとっては出来ることなら通りたくない道でした。
 ※避けて通りたい、出来ることなら通りたくない道。出会いたくない人がいる。しかし、避けて通れない道がある。会いたくないが会わなければならない人がある。仕方なくしなければならない仕事もある。その時こそ自分の力では出来ない、神への信仰が試され、神により頼み、祈るのではないでしょうか。

 近くにユダの荒れ野があるような乾燥地帯でした。
04:06そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
04:07サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。

 この女性が水汲みに来たのは正午頃であった、とあるが、何故この様なときに来たのか。普通水くみは早朝か、日が落ちる涼しくなった夕方かです。彼女は人目を避けていた?後ろめたい。やましい生活をしていた?
 現在でも井戸は使うことができ、勿論飲むこともできます。深さは32m。

イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
 イエス様からこの女性に声をかけられた。しかも、憐れみを乞うかの如くへりくだって。女性はまさか声を掛けられるとは思っても見なかった。ましてや、普段から交際がないサマリヤ人に、しかも女に、さらには人目を避けて、昼の日中、水を汲みに来る女に。彼女は後ろめたい生活をしていた罪の女性であった。(3章ニコデモ比較)
 しかし、イエス様は18節にあるようにこの女性の全てを見抜いていた上で「水を飲ませてください」と声を掛けたのです。
 この一声は、「あなたを嫌っていないよ、あなたを軽蔑したり、裁いたりしていないよ」というメッセージがこもったものでした。
 半信半疑、女はビクビクしながら、それでも声を掛けられたことによって少し心がほぐれたのか、勇気を出して訪ねた。「何故、サマリヤ人を嫌うユダヤ人のあなたが私のような者に懇願するのですか。」

 「わたしたちも、こんな私のようないい加減な不信仰な者に神は声を掛けて下さらない、顧みて下さらないだろう、祈りを聞いてくださらないであろう」と思いやすい。
 そうではなりません。神の思いは人の思いとは違い、深い憐れみに基づいているのです。
 いずれにしても、このイエス様の一声をきっかけにして、イエス様と女との水に関するトンチンカンな問答が始まるのです。

04:10イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
04:11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。
04:12あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」 04:13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
04:14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
04:15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」

 サマリアの女は先祖ヤコブを尊敬していた。
 創世記27.28章、ヤコブが目が見えない父イサクと双子の兄エサウをだまして、長子の特権を奪った。そのことを知って怒り狂った兄エサウの仕返しを恐れてたヤコブは、一人遠い母の里に逃げていく物語が記されています。
 このサマリアの女性も又、この井戸に来る度に、自分をこのヤコブと重ねて、孤独な、不安な日々を耐えていたのではないだろうか。

※私たちはこの女性と何の関わりもないと思うかも知れません。
 しかし、過去を振り返ってみるときに、後悔すること、取り返しの付かない失敗や愚かなこと、自分でも気付いていない罪を数々犯してきた。
「私達の罪責は、聖なる神の光の中にあらわし出された、私達の過去以外の何物でもありません。・・・・簿記の言葉を用いるならば、私達は過去を『繰り越さ』なくてはなりません。しかし、私達はそれをどうすることも出来ません。それは神の手の中にあるのです。それを忘れ去ることも出来るでしょうが、それでは何の解決にもなりません。過去の罪は繰り越して、現在に影響を与えているのです。現在を失っていくのです。」

 神は私達の罪をどれほど重大に考えているか。それを解決するためには独り子の生命を代償にして与えるほどです。そして実際に、御子を十字架につけるという方法をもって、私達の罪の赦しを与えて下さったのです。
 この水問答で、女はトンチンカンな答えをしている。
 神の賜物とは「永遠の命」(ローマ06:23罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。 )です。イエス・キリスト御自身でもある「神はその独り子を賜うほどにこの世を愛された」(ヨハネ3:16節)

04:16イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、
04:17女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。
04:18あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」

 イエス様は彼女の過去の罪を取り除くめに、彼女の過去を暴いたのです。光を当て明らかにしたのです。過去の罪をそのままに繰り越して、現在を失い、将来をも見えなくしてしまっていたのです。

04:21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
04:22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
04:23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ04:24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 04:25女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
04:26イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

 現在を潤ったものにし、将来に希望を持つためには、真の神を知り、その神を霊と真理をもって礼拝することこそ最も大切なことです。間違った神を礼拝しても渇くばかりです。真の神はイエス・キリストによって人間の姿をとってこられた神だけだ。なぜなら、イエス・キリストの生涯が特に十字架が、真の神はどういう方かを明らかにしたからです。
 この主の十字架において神は罪ある私達と会い、私達に語りかけ、罪の赦しを与えて下さるのです。
 ここにおいて初めて霊と真理を持って礼拝することが出来るのです。それによって過去の罪を繰り返さないことになるのです。主はあなたを、わたしを真の礼拝へと招いておられるのです。


ヨハネによる福音書4章1〜26節
04:01さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、
04:02――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――
04:03ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。
04:04しかし、サマリアを通らねばならなかった。
04:05それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。
04:06そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
04:07サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
04:08弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。
04:09すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。
04:10イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
04:11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。
04:12あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」 04:13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
04:14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
04:15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
04:16イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、
04:17女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。
04:18あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」
04:19女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。
04:20わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
04:21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
04:22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
04:23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ04:24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 04:25女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
04:26イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」