「イエスの復活を信じる」マタイによる福音書28章1〜15節

「私は復活であり、命である;。わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも決して死ぬことはない。あなたはこれを信じるか」(ヨハネによる福音書11章25、26節)
「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(コリントの信徒への手紙一 15章20節)


「私たちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています、人の手で造られたものはない天にある永遠の住みかです。」(コリントの信徒への手紙二5章1節)

「イースター」
 日本語に訳すと「復活祭」。これは二千年前、イエス・キリストが十字架につけられて死んで墓に葬葬られたこと、そして三日目に復活されて弟子たちの前に現れたことを、弟子たちがこれを良い広めたことに由来する。彼等は自分たちのことを『復活の証人』と呼びました。
 イエス・キリストの復活が何故それ程重大なことだったのだろうか。
その理由は、それを信じた者、すなわち、イエス・キリストが十字架につけられ死んで、墓に葬られたこと、そして三日目に復活されたことを信じた者は、その信仰によってキリストの死と復活の命に預かり、新しく生き始めることが起こったからです。言い換えれば、神が賜物として聖霊を与えて、その人の内にきよめ、共に住んで下さったということです。それは死んで終わりでないキリストの復活の命に生き始めたということです。
 イエス・キリストの復活はその先駆け、初穂、命の源泉だったのです。だから、キリストを信じた者の群である教会はイエス・キリストの十字架の贖いだけでんなく、「復活」を何よりも大切なこととして信じ続け、誰でも、いつでも、これを信じる者はその命にあずかることが出来ることを宣べ伝えてきたのです。

 さて、その復活の初穂、先駆けとしてのキリストの復活はどのようにして起こったのでしょうか。その原点を見ていきましょう。
マタイ
28:01さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマアリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。

 この二人の女性はどのような思いで墓に行ったのでしょうか。安息日が終わって、週の初めの明け方に・・・。墓は大きな石で封印されていた。
28:02主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ってたのである。
28:04番兵たちは、おそろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

 女たちが来るのを待っていたのかのように、大地震が起こり、天使が降ってきて、石を脇へ転がしたのです。
 死人の番をしていた番兵が死人のようになった、とはマタイだけが記していることですが彼のユーモアでしょうか。

28:07それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」 28:08婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
 彼女たちは復活したイエスを見たわけではなかったが、天使の言葉を信じたのです。
 彼女たちは天使の言葉を聴いて、イエス様の復活を信じた。そして非常に恐れながらも大喜び、急いで弟子たちに知らせるために走って行ったのです。なぜなら、男の弟子たちが失意と後悔で死人のようになって暗い部屋でうずくまっていたから、この喜びを少しでも早く知らせてあげたいと思ったのです。
 「ガリラヤに行け、そこで復活の主にお目にかかれる」
 何故、ガリラヤなのか。当時、ガリラヤは神殿のあるエルサレムからすると、北の果て辺境の地、異邦人のガリラヤとまで言われていた。神の光の届かない暗黒の地でもあった。弟子たちの故郷、そのガリラヤに復活の光が輝くのです。死んだような弟子たちはそこで復活の主に出会い、聖霊を受け、人が変わったように力強く「復活の証人」となったのです

 ※「私のガリラヤ」
 私はかつて、来る日も来る日も朝から晩まで、パチンコに明け暮れていました。まさに生ける屍、死人のような生活をしていました。不思議なことに兄を通して教会へと導かれ、キリストは私の暗黒の地ガリラヤにまで来て、そこを光で照らし、私を復活の命で生き返らせて下さった。
「だれでもキリストに結ばれる人は、新しく創造されたものなのです。古いものは過ぎ去り、、新しいものが生じた。」(コリント二5:17)

 「信じる」
 鰯の頭、何も根拠のないものを信じる事は盲信である。私たちは誰かを信じる、信頼する時、その人の中に日ごろから誠実な姿、自分だけの私利私欲に走らない姿を見て、それを根拠にして信じることをする。このイエスの真実な姿、無私の愛、偉大な力、そして、私たちを救うために十字架で命まで投げ出す無限の愛、、そして、死からの復活、そこに真実な神を見出すから、この方を信じていこうとするのです。

 「復活の希望」
 イエスは確かに三日目に死より復活した。そして、神は彼を信じる者に永遠の命(復活の命)を与えると約束して下さった。
 この命は神から与えられる賜物です。人の努力で得られるものではない。それは葡萄の木に枝が繋がるように、イエス様に繋がるとき得られるものなのです。その時、死は愛する者との永遠の別れではなくなるのです。天に於いて再び会える希望を与えてくれるのです。